カザフ遊牧民と馬

カザフと馬
北方民族博物館「第32回特別展 ユーラシア北方のウマ牧畜民 カザフ、モンゴル、サハ」
【会 期】 平成29年7月15日(土)~10月15日(日):図録解説収録

北、中央アジアの遊牧騎馬民と言ったとき、居住地域の広さにおいて、モンゴル民族とカザフ民族を2大遊牧騎馬民族といっていいだろう。

両者は、チュルク系言語であるカザフ語を母語とするイスラム教徒の多いカザフ人、モンゴル系言語であるモンゴル語を母語とする仏教徒の多いモンゴル人というように、言語や宗教などの違いをもちながら、遊牧騎馬民族としての生活の様子は十把一絡げにまとめられてしまうことが多い。

しかし、この両者の間には、乳製品の作り方や保存方法、土地の利用方法や移動のパターン、家畜の世話の仕方や関わり方、利用方法など、数え切れないほどの違いがある。

本稿では遊牧生活を送る上で、特に欠かすことが出来ない馬の利用方法、関わり方についてカザフ人たちにみられる特徴を中心に、モンゴルとの比較なども適宜加えながら紹介していこうと思う。なお、本稿ではモンゴル国西域、バヤンウルギー県に住んでいるカザフ人について紹介することとする。

【馬の呼称】

カザフ語で馬のことを、ジャルカと言うが、これは雄雌すべてを含めての総称である。

 遊牧騎馬民族である彼らは、我々日本人が馬を表すのに、一歳馬とか、種馬とか去勢馬などというように、「~の」+馬というように表すのでは無く、馬を表す単語をたくさん持っている。従って、彼らと馬の関係を考え、かつ、馬をどのように区別し、利用しているのかを理解するためにはそれらの名称を理解する必要がある。

 春、5~6月に出産シーズンを迎え、生まれてくる子馬をコランと呼ぶ。ちなみにコランシャックという言葉があるが“可愛い”という意味を持つ。とにかく、子馬は「可愛い」のだ。辞書を見るとコランと呼ばれるのは生まれて6ヶ月くらいの間で、その後、ジャバガと呼ばれるようになる。秋になって仔馬を群れに混ぜてから、生まれて丸一年経つまでの間、ジャバガと呼ばれるが、この言葉を「遅く生まれてきた子馬」と説明する人もいるが、単語としては“毛がまっすぐになった仔馬”という意味だろう。仔馬は巻き毛で生まれ、しばらく経つと巻き毛がある程度伸び、尻尾もまっすぐになるのだ。ジャバガという言葉は“カールが取れた毛を持つ”“伸びた毛を持つ”というジャバガラと関係があり、“生まれてしばらくたち、巻き毛状だった産毛がすっかり伸びた馬“のことを指していると推察される。

そして、生後丸一年経った子馬をタイと呼ぶ。このタイという言葉を聞くとカザフ人たちは“才能や可能性を秘めた可愛い馬”というイメージを持つようだ。また、余談ではあるが、タイラクというと3-5歳くらいの雄らくだを表し、またタイアンシャというと2歳の仔牛を意味する。いずれもが「タイ…」と表現されるところが興味深いがこれ以上は不明だ。

さて、タイから後は去勢された馬はアト、種馬はアイガル、雌馬はビエと呼び分けられる[i]。モンゴルでは2歳馬以降、歯の状態によって呼び分けられる[ii]ことが多いが、カザフ人は3歳馬、4歳馬をモンゴル語由来の“3歳の家畜”、“4歳の家畜”という単語で言い表すにすぎない。つまり、カザフ語では3,4歳の馬を特に指し示す言葉がないのである。ところが、5歳馬にのみ、ベスティというカザフ語の呼称がある。ベスティという言葉自体は“5を持つ”という言葉で、つまりは5歳を意味する。この言葉を使って他の5歳の家畜を示すことはまれで、基本的に馬に使う言葉だと聞く。さらに聞いたところに寄ると、この歳の馬は競馬に出場させないという習慣があるそうだ。この頃の馬は犬歯が生え始める時期にあたり、“成馬になりかけている馬”とみなされ、特に気を遣った管理がされるべきと考えられているのである。そして、6歳からの馬はジョアン アトと呼ばれるようになる。これは、“肥った・大きな 馬”を意味し、要するに成馬である。

以上のように、カザフ人は、生後より群れに混ぜられるまでの馬=コラン、時間が経って巻き毛が伸びた仔馬=ジャバガ、生後一年経った可愛い馬=タイ、去勢された馬=アト、種馬=アイガル、雌馬=ビエ、成馬になりかけている馬=ベスティ、成馬(オス)=ジョアン アトというカテゴリーに、それぞれ馬=ジャルカを分けて扱っている。

これら名称を見渡すと性別区別、時系列区別、利用目的別区別といった3つの区別があることがわかる。時系列別区別というのは、コランを生まれて6ヶ月までであるとか、犬歯が生え始めた馬をベスティというように数詞の変化形(ベスはカザフ語で“5”)で表現するなどを指しており、利用目的別区別は去勢・非去勢、妊娠・非妊娠の別の呼び分けをさしている。これらが組み合わせられ、必要な情報を伝達するに適した名称で呼び表されるのがカザフの馬名称である。

kazakh jarka

【カザフ人の馬利用】

次に、カザフ遊牧民の馬の利用方法を紹介していこう。

馬の利用目的は様々にあるが、ここでは、食料としての馬利用と道具としての馬利用に分けて紹介する。

“食糧としての馬利用”

遊牧民が、大切な馬を食べるはずがないと思う方も多いようだが、実際にはモンゴル人もカザフ人も馬を食べる。両者ともに、肉を屋外で長期冷凍保存できる冬に大型家畜を屠殺する。夏期は家畜もやせているし、大型家畜から得られる量の肉を保存することが困難だからだ。ちなみに馬刺しのような食べ方は両者ともにしない。モンゴル人は冬に馬肉を使ったボーズ(蒸し餃子、シュウマイのようなもの)を食べると風邪を引かないと言って好んで食するし、馬肉が一番美味いという人も多い。しかし、特に馬肉だからといった調理方法や料理があるわけではない。日常的に作る料理の肉が馬肉になっただけである。

ところが、カザフ人たちの馬肉利用はモンゴル人のそれと比べると際立っている。年間で食用にする頭数も多いし、また部位によって細かく名前がわけられていて、さらにそれぞれの部位で食べ方が違うなど実に豊かな食文化を持っている。

a.馬肉利用

カザフ人は馬を一年を通じて食用に利用する。基本的に夏季は気温が高いので、馬の屠殺はさける傾向にあるが、カザフ人たちは祝い事などがあると夏でも馬を食用に屠殺する。モンゴル人と比べて日常的に馬肉を利用することは特筆すべきことであろう。

彼らは馬を屠殺したとき、すぐに食する肉と、保存する肉にわけて扱う。そして、馬肉は塩せき処理[iii]が施され保存肉になるが、それらは4種類あり、カズ(қазы)、カルタ(қарта)、ジャル(жал)、ジャヤ(жая)と呼ばれる。

カズはあばら骨とその周囲の肉に塩せき処理をして小腸につめソーセージ状にし、そのまま乾燥させた保存肉である。乾燥が進むと塩が表面にしみ出してくるが、そうなったら完成である。馬一頭から12本のカズを作る。馬肉の中でも特に好まれ、またカザフを代表する馬料理として、近年、モンゴル国首都ウランバートルなどではパッケージが販売されるようにもなっている。長期間保存が可能なので、自家製カズをたくさん作り置きしているが、市場などでもよく売られている。他の肉や保存肉たちと比べても、特別扱いをされる肉がカズだ。カズという言葉には貴族という意味があったり、また、“豊かなこと”も意味している。想像の域を出ない解釈かもしれないが、カズがたくさんあること=豊かであることを象徴するのではなかろうか。

カルタとはカズで使う部位以外の肉を塩せき処理をして大腸に詰め乾燥させたソーセージを言う。

ジャルとはたてがみのある部位の脂に塩せきしょりをほどこしたあと、保存したものを言う。ジャルという言葉はたてがみを意味する他、山の尾根を意味している。つまり尾根状になっている部位を指す言葉であり、ちょうど馬の首、たてがみの生える側の形状と一致している。

ジャヤは臀部に近い部位を塩せき処理し、乾燥させたものを言う。

これら保存肉は長時間煮て食する。

カザフ人は塩せき技術を用いることで大型家畜である馬を一年を通じて食用利用できるようになったと考えられる。カザフの食文化をを語る上で欠かすことの出来ない技術だといえよう。

b.乳利用

カザフ人たちは夏の間、馬乳が多く得られる時期に馬乳酒を作る。カザフ語ではカマズ(қымыз)という。ちなみに、ラクダの乳から作る飲料はカマラン(қымыран)と言うことから、“カマ-”がなにかしらの意味を持つに違いない。

さて、搾乳するためには、まず仔馬をビエバオ(бие бау)[iv]と呼ばれる紐に繋ぐところから始まる。通常、仔馬が生まれた直後は母馬と一緒にしておくが、全ての仔馬が生まれ終わったころ、仔馬を捕まえはじめる。

子馬を捕まえる際、カザフ人はボガラク(бұғалық)という投げ縄を使う。まず母仔の馬群を一カ所に集め、6,7人で囲む。徒歩の者の他、逃げ出す馬を追うために騎乗している者もいる。皆で馬が逃げ出さないように囲みながら、適当な仔馬に目星を付けて投げ縄を投げる。投げ縄が仔馬の首にかかればそれをたぐり寄せて、ノクタ(ноқта)を付けて、地面に張ったビエバオにつなぐ。初めて人の手に触れられる仔馬たちは、性格にもよるが、暴れることが多く、仔馬とは言え、かなりの力をもっており、二人がかりでねじ伏せなければならないこともある。仔馬を繋いでおくと、母馬が仔馬の傍から離れない。搾乳時に仔馬を母馬に近づけ母乳を少し飲ませた後、そのまま仔馬を母馬の横にたたせておいて、人が搾乳する。仔馬に乳をやっていると母親は思い、乳を出し続けるのである。搾乳が終わると仔馬は再びビエバオに繋がれる。母馬は適宜、自由に草を食べに出かけるが、必ず仔馬の所に戻ってくるので、わざわざ探しに行かなくてもよいのである。この仕事をすることをビエ バイラオ(бие байлау)と言い“メス馬を繋ぐ”という言葉だが、以上のように“母馬をおとなしくさせて、居場所を決める、制限する”ことを意味していると考えられる。母馬を人間側に引き寄せることを意図した表現であろう。

生まれてしばらく群れにいた仔馬をビエバオに繋ぐ日というのは、遊牧民にとっては喜ばしい日である。無事にたくさんの仔馬が生まれたことで、その夏はたくさんの馬乳酒に恵まれるからだ。全ての仔馬を繋いだ後に、誰が何頭捕まえたか?などを話のネタにお茶会が催される。

搾乳された乳は屋内の容器に入れて保存されるが、入れ物はモンゴルのものとちがい口を密閉できる構造の革製の入れ物(саба)を使う。その後昼夜可能な限りかき混ぜて攪拌発酵させる。そうしてできあがった飲料が馬乳酒カマズである。カザフ人はこれを酒の種類とは考えておらず、夏場の栄養ドリンク、食糧の一種として、子どもたちも飲むことが許されている。

“道具としての馬”

日常生活で馬にどのような状況で乗るのか?またどのように操るのか?は、それぞれの自然環境によっても影響され、それらは馬具や、乗馬技術を観察することで理解できる。

まずは、馬具や乗馬方法を述べてから、具体的な彼らの活動について紹介していこう。

a.鞍の構造と乗馬姿勢

カザフ人の乗馬方法は、その鞍の構造をみるとわかりやすい。金属のフレームに厚めのクッションがつけられ、座部の前寄りに鐙がぶら下げられている。そして、鐙革は長めで、両側の鐙は馬の腹の下を通した紐でつながれる。

またアップダウンの激しい地形で鞍がずれてしまわないように3本の鞍紐で鞍を固定するなどの工夫が見られる。特に男性が利用する鞍は前足の前、胸のあたりに鞍帯を一本回してある。こうすることで、鞍が後方にずれていくことを防いでいるのである。つまり、それだけ鞍がずれやすい乗馬姿勢を取ることに対策が必要だということである。[v]

この構造の鞍は座部に尻を着けて座ったときに膝が少し前にでて、椅子に座っているかのようになり長時間の移動の際、膝が痛くならない。また長い鐙紐は馬の腹をしっかりと抱えるのに都合が良く、馬上での体位が変えやすくなっている。そのかわり、以下に紹介するようなモンゴル式の立ち乗りはしにくい。鐙が前側にあるため、鐙に立つと前のめりになってしまうからだ。従ってカザフ人たちは基本的にクッション座部に尻をつけての乗馬スタイルとなる。

これに対してモンゴル人の鞍の構造は、木製の鞍の小さめの座部にクッション製のない布が張られ、小さめの座部の中心から鐙がぶら下げられている。鐙紐は短い。両側の鐙を馬の腹の下を通した紐でつなぐか否かは地域によって一様ではないが、中央モンゴル地域ではつながない方が多く、通常、草原地域で使われる鞍では、鞍帯(腹帯)が2本になる。草原にアップダウンが全く無いわけではないが、2本で十分という判断のようだ。

この構造の鞍では座部に尻をつけて座ると鐙の位置のは座った場所の真下になり、膝への負担が大きい。座部にはクッション性がないため、当然、座ったままでの移動にはあまり適しているとは言いがたい。しかし、モンゴル遊牧民たちは鐙を踏んでそのまま立ち上がって鞍から腰を浮かせて、ほぼ直立姿勢を取って乗馬する。鐙紐が短く、立ち乗り姿勢になると尻が座部に着かなくなり、体が揺らされることが少ない。長時間、長距離を移動するときに体への負担が少ないのは間違いが無い。

この両者の鞍の構造と乗馬方法の違いは生活する自然環境の違いに起因していることは明らかだ。アップダウンの少ない草原地域を楽に走るためには立ち乗りと一般に呼ばれるモンゴル式乗馬が適しているのに対し、鞍にベタ座りしての乗馬方法は森林地帯や山岳地帯で馬に乗るのに楽だ[vi]。アップダウンを頻繁に伴う乗馬の場合、立ち乗りでは不安定なのだ。

b.蹄鉄の利用

とても乾燥して、石や岩が多いゴツゴツとした硬い土地が多いアルタイ山脈ゆえに、カザフ人は乗用馬には蹄鉄をつける。アルタイ山脈に暮らすがゆえの必要だったのだと思われる[vii]。カザフ語でこれをタガ(таға)という。

蹄鉄は7月半ば過ぎに付けられる。全ての馬につけられるのではなく、基本的に人が乗る馬にだけとりつける。

馬の足を縛り上げて寝かせ、一人が足を持ち上げ、もう一人が板状の鉄杭を打つ。蹄の内側から外側に向かうように鉄杭を打ち込み、蹄を貫通させ、飛び出た部分をペンチで切る。鉄杭を打ち込む角度を間違えると出血してしまうため、最新の注意が払われる。こうして取り付けられた蹄鉄は数ヶ月程度で薄くなり自然と落ちて無くなる。蹄の縁に近い部分に杭が打たれるので、蹄が伸びることで自然と落ちてしまうようだ。落ちたら再び取り付ける。

社会主義時代に作られたカザフ人の生活を紹介したドキュメンタリーの中で蹄鉄を取り付ける様子がわざわざ採り上げられて収録されていることを見るに、モンゴル人にもあまりなじみのない習慣なのかもしれない。

c.騎馬競技

カザフ人の多く住んでいるアルタイ山脈地域と比べて、平地に暮らすモンゴル人たちの乗馬技術は平原をいかに素早く移動するかが求められ、それを可能とする馬具と乗馬方法が発達しており、長距離におよぶレースをもって、遊牧民の知恵と経験を競うようになっている。

これに対して、カザフ人たちは、平地よりも地形変化に富む山岳地域での乗馬技術を発展させてきたと言っていいだろう。そのため、彼らの乗馬の様子を観察すると馬の体勢が変わりやすい状況で落馬せずに馬を操る技術については特に優れていると思われる。これらは彼らのいくつかの騎馬競技からうかがい知ることが可能であるし、またこれら騎馬競技をもって技量をはかり、競い合うこと自体が、このことが求められる乗馬技能である証と言えるだろう。

1.テンゲ イルゥ(コイン拾い)

地面に置かれたコインを拾う競技。実際に拾う物は特にコインに限定されていない。

一列、等間隔にコインを5~6つ並べ、それを馬上から拾い上げる。この際、馬の足を止めてはならず、また、後ろに戻ることも許されない。従って出発点から最後のコインのあるところまで馬を進めながら、その間に出来るだけたくさんのコインを拾い上げた者が勝者となる。同点者がいるときにはコインの間隔を狭め行い、最後の一人が決まるまで繰り返す。

2.クク パル(ヤギ 奪い)

カザフ人だけに限らず、アフガニスタンやキルギスタンなどにも広く見られる馬上でヤギを奪い合う競技である。25~45kgほどのヤギの額をたたいて絶命させ、内臓を取り出したものを奪い合う。個人戦の場合は、地面に置かれているヤギを馬上から拾い上げることから始める。先に拾い上げた者が自分が持ちやすいようにしっかりとヤギを握ってから、相手に反対側を持たせる。両者がヤギを握った瞬間から奪い合いが始まり、馬から落ちる、もしくは手を放した時点で負けとなる。団体戦については見たことがないので詳細を語る資格を持っていないが、聞くところによると、2チームに分かれて奪い合い、決められたゴール地点にヤギを置いた方が得点するというルールだそうだ。

いずれにせよ、ヤギを馬上に拾い上げる、馬から落ちずにヤギを引っ張り続ける、馬を制御するなど非常に強い足腰、腕力はもちろん、かなり高度な乗馬技術が必要とされる競技である。「そんな格好になって、どうやって馬上に戻るんだ?」という姿勢になってなお、手を放すこと無く、それどころか、そこから馬上に戻る強者もいる。すごいとしか言いようのない乗馬技術が披露される。

そもそも馬は自分の腹より下部から何かが接近するのが嫌なので、見慣れない落下物に近づかないという習性があり、基本的に騎手が地面から物を拾い上げることを馬は嫌う。従って、大きなヤギを拾い上げるというのは、騎手にとっては、重さもさることながら、ヤギに接近すること、持ち上げることその行為自体ですら、高度な乗馬技術を必要とする。そして、馬は異物が背中付近にぶら下がることも嫌うため、その状況で馬が暴れないように制御しなければならない。そして、さらに相手がヤギの適当な部位をつかんで引っ張るなど、馬にしてみれば視界の中で異様な状況が繰り広げられることになる。馬が暴れるのが当然の状況の中、それを制御して、なおかつヤギをつかみ続けなければならない。馬の力をより上手に利用できた方が勝者となるのは当然だが、だからといって、手綱でさばくのが難しいような荒馬ではコントロールが出来ない。ヤギを両手でつかむため、手綱は腕に引っかけて肘でコントロールすることになるが、この際、気性が荒すぎても、おとなしすぎてもいけない。

カザフの男たちにしてみれば、まさに“男の見せ所”といえるだろう。

4,5年くらい前までだっただろうか、この競技で使うヤギには頭がついたままであった。絶命させる前に年長者が祝詞を読み上げ、参加者全員で祈りを捧げ、屠り、内臓を出しただけのヤギを使っていた。一連の作法に従って、ヤギを屠って、競技に供していたのである。しかし、観光客誘致を目的に始められたイヌワシ祭に来て観戦していた欧米人から、「頭がついたままでは残酷だ」という苦情が寄せられるようになり、首を落としたヤギを使うようになった。これにより、以前であれば握りやすいところとして角があったが、これがなくなった。従って、大抵の場合、後ろ足、前足を握って引っ張り合うだけになってしまっている。

3.クズコアル

カザフ人が企画する祭にいわゆる普通の競馬というのは無く、上述のテンゲ イルゥ、クク パル、そしてクズコアルが行われる[viii]

クズコアルは二人の男女ペアがそれぞれ馬に乗って併走する競技だ。併走中、女性は男性を鞭で叩き、男性はそれをおもしろおかしくよけながら、ぴったりと二頭の馬を並べて疾走する。スタート地点からゴール地点までのスピードを争うわけでは無く、いかに男女がおもしろおかしく叩き叩かれる様子であるか、そして二頭がきれいにならび、疾走してくるかがコンテストの審査基準になるらしい。

クズコアルについて、こんな風に話を聞いた。

「カザフの男女はきびしいしきたりがあって、デートとかって出来ないんだよ。でも、まぁ、男たちは馬を追ってあちこちへと行っては行った先で人の家に入るんだ。そして、そこで可愛い子がいたら、惚れるわけだな。しかし、デートってわけにいかない。思いを伝える方法がないまま、なんとなく顔見知りになるんだ。

で、だ。結婚式の時に人々がたくさん集まったときに、告白をするのにこのクズコアルが使われるんだよ。男の子が女の子に、クズコアルやろうぜって声をかけるのさ。本命を含んで何人にもかけておくんだ。そして、観客たちから遠く離れたスタート地点に行くまでの間に口説くんだ。そして男の子は娘にキスをして逃げるんだよ。娘はそれを追いかけて男の子を鞭でたたくのさ。叩き、叩かれながら、まぁ、いちゃつくんだな。これが競技みたいになっているんだ。」という話だった。

クズコアルで疾走する男女の乗馬方法を観察するに、様々な体勢を取るために多少腰を浮かせて乗っているが、鐙革が長いためだろう、モンゴル遊牧民が疾走する際に鐙を踏んで立ち上がるという姿勢を取っていない。

4.アト ジャラス(競馬)

カザフ人も競馬を行う。ナウルズ(春分の日に行うカザフ最大の祭)や結婚式などにも行うと聞く。競馬はモンゴル人同様に馬の年齢ごとにレースを行う。なお、モンゴル人の祭ナーダムでの競馬を観察したときに、裸馬に乗ってくるカザフの子どもの多さたるや、モンゴルより多かったと記憶している。距離は20km超の長距離レースであったが、トップ集団のほとんどの子どもたちが裸馬で騎乗していたのである。残念ながら、筆者のカザフ経験はまだ日が浅く、カザフ人の競馬がモンゴルとの影響で行われるのか?もしくは、なにかしらのカザフらしさがあるのかをここに記すことは出来ない。モンゴルの競馬が奉納儀礼的な意味を持つのに対し、カザフの競馬とは何が目的となっているのか、今後も観察を続けたい。

以上、カザフを代表する4つの騎馬競技について紹介したが、競馬はともかく、騎手に求められる技術は馬を走らせることに留まらないことがわかるだろう。騎手には、体をめいっぱい倒しこんで地面のものを拾うであるとか、馬上で両手がふさがれた状態で馬をコントロールするとか、鞭で叩き叩かれ妙な体勢で走らねばならないとか、長距離をただ走るよりも馬上で要求されることが多い。

d.イヌワシを使った毛皮猟

今やモンゴル人の鷹匠はいないと言っていいであろうか。古い書物にはモンゴル人が鷹狩りを行っていたことが記されている。しかし、考えてみれば、猛禽類は草原地域よりも山岳地域に多く住んでおり、平原地域を活動の中心におくモンゴル人には鷹狩りを行うメリットはそもそもあまり無く、従って弓射技術を発達させたのではなかろうか?思えば、今のカザフ人に弓競技はほぼ残っていない。バヤンウルギーで開催される弓競技に参加するのはもっぱらモンゴル人だ。つまりは、カザフ人の生活では弓の出る幕は無かったということになるのか?

筆者はアルタイ山脈という環境故に鷹狩りは発展し、維持し続けることができたのだろうと考える。木がほとんど無い岩場ばかりのアルタイ山脈では、人の眼よりも、猛禽類の眼を使って獲物を探す方が理に適い、高低差の激しい場所での弓利用は射程距離において不利になる。足りない、もしくは近すぎるという状況で狩りの機会を失いやすい。つまり、弓矢の代わりにに猛禽類をカザフ人は使ったのである。彼らが鷹狩りをするに至ったのは、この土地で毛皮猟を行うに必然からだったのだ。猛禽類を手に入れトレーニングすることで、どのような場所からでも狩りが可能になったのだ。

そこに加えて、カザフ人は山岳地域で乗馬するに適した鞍を作り出し、蹄鉄利用で蹄のメンテナンスを行い、変化に富む地形を自由自在に移動できる乗馬技術を発達させた。そして、彼らは相棒を連れて遠くまで行けるような道具を作り鷹狩りの機動力を上げるに至ったのだ。

さて、鷹狩りと日本語では言い表すが、カザフ人はイヌワシを使う[ix]。巣に目星を付けておいて、卵が孵る頃に雛を盗み出して飼育する場合[x]と成鳥を捕らえてトレーニングする場合の2種類がある。いずれにせよ、1~2年ほどトレーニングして毛皮猟に使う。獲物はテン、ヤマネコ、ウサギ、キツネ、オオカミなどで、狩りの目的はもちろん毛皮だ[xi]。従って、狩りは毛皮が美しくなる冬期に行う。雪も積もるため、獲物の足跡を発見しやすい時期でもある。

雪が薄く積もった尾根伝いに馬、もしくは徒歩で移動しながら足跡を探す。また、勢子が同行している場合は、谷間を見下ろしながら勢子が来るのを待つ。勢子に脅かされた獲物が動くのを確認するやイヌワシは飛び立ち襲いかかる。この時のスピードは時速160kmに及ぶとも聞く。捕らえるときは獲物の背中を片方の足で踏みつけ、振り返って噛みつこうとする頭をもう片方の足で踏みつける。ヤマネコなど爪のある獲物の場合、経験の少ないイヌワシだと返り討ちを浴びて怪我をすることもあるといい、ヤマネコを捕れるかどうかがイヌワシの技量を測る基準になっているそうだ。イヌワシが獲物を捕らえたら、勢子もしくは鷹匠は駆け寄り、代わりの肉を差し出し、獲物から引き離す。早くしないと獲物をついばんでしまい、せっかくの毛皮が台無しになってしまうのだ。

高度な乗馬技術を持つ彼らは、尾根伝いに馬で移動し、獲物の所まで馬で苦も無く駆け下りる。前述の鞍や蹄鉄、乗馬技術はこの時に大いに役に立っている。この土地において、そもそも彼らにとっては当然の技能だ。冬場に分厚い外套を身にまとい、外套を締める帯にはイヌワシのエサ袋をぶら下げ、革で作られた分厚い手袋(ビアライ)を右手にはめ、目隠しをかぶせられたイヌワシをそこに留まらせ、手綱を左手で持って騎乗する。これだけでも、一苦労のように思えるのだが、彼らには造作ないことだ。そして騎乗したら、イヌワシを留まらせた右腕を支持棒バルダックにのせて走って行く。これも、彼らには出来ないはずのない、当然の技能なのだ。

カザフ人にとっての馬

以上にカザフ人の馬との関わり方をいくつか紹介してきた。紙面の都合上、筆を尽くせなかった部分も多々あるが、彼らの馬利用に関しては概観できたかと思う。

自然環境に適応させた馬具と乗馬方法、その乗馬技術を駆使した様々な活動、塩せき技術を持つが故の馬肉利用などカザフ人は実に豊かな馬文化を持っている。

あくまでも筆者の私見にすぎず、仮説の域を出ない話なのだが、モンゴル人たちよりも、カザフ人たちの馬の利用方法、活用方法は多岐にわたり、そして功利的に利用する道具として馬を位置づけているように筆者には感じられている。道具としていかに使いこなすか、食料としていかに利用し尽くすかという点が非常に発達しており、馬はあくまでも人間が利用する対象物として扱われているように思えるのだ。野生の状態からより人間側に引き寄せたところに馬をおいているとでも言おうか。

ここでこれ以上の詳細にわたり議論することは出来ないが、馬とはカザフ人にとっていったいどのような動物で有るのか、今後も観察、考察を続け、機会があれば広く問いたいと思っている。

 

[i] これら単語が本来的に持つ意味などについての考察は次回以降にしたい。単語そのものの持つ意味があるはずと筆者は考えている。

[ii] 順にシュドレン(歯が出てきたモノ)、ヒャザーラン(前歯が生えそろったモノ)、ソヨーロン(犬歯が出てきたモノ)と呼び分ける。おおよそ、3歳馬、4歳馬、5歳馬に相当する。

[iii] 塩を肉の表面によくすり込んだり、塩漬けなどにすることを塩せきと呼ぶ。脱水を促し、雑菌の繁殖を抑えるなど保存性を向上させることを目的に行われる。

[iv] この習慣は特にカザフに限ったことでは無く、モンゴル遊牧民の間でもごく一般的に行われる母仔群の行動規制および搾乳方法である。モンゴル語ではグーバリフといい、「雌馬を捕まえる」という意味があるが、実際に捕まえるのは仔馬の方である。地域によって儀式次第には違いがある。ゴビ地域で観察した儀式では、仔馬を繋いだ後、搾乳をすぐに行い、その乳を入れた容器と、仔馬を捕まえるときに使った馬取り竿(オールガ)を参加者全員で横一列に並んで持ち、仔馬たちの周りを回りながら乳を振りまいて、仔馬の誕生に感謝し、たくさんの馬乳が得られることを祈り願っていた。

[v] 鞍帯を3本にするのはカザフ鞍に限ったことで無く、森林地域に暮らす人々の間にも見られる。いずれにせよ3本にする理由は鞍が後方にずれてしまうことを防ぐことにある。

[vi] モンゴル遊牧民たちの中でも、森林地域や山岳地域に住む人々の間では鐙が前につくタイプの鞍を使っていることが多い。

[vii] モンゴル人たちが全く蹄鉄を使わないわけではない。しかし、中央草原地域などではほぼ見ることはなくなっている。

[viii] 付け加えるならばラクダレースがある。

[ix] イヌワシの他、フクロウやハヤブサなども利用する場合がある。

[x] メスを選ぶ。足が大きいのがメスで狩りが上手いと言われる。

[xi] 社会主義時代と比べて近年は毛皮の需要は減っているため、毛皮猟もあまり行われなくなってきているという。基本的には自家利用(帽子やコートの襟に使う)を目的とすることが多いが観光客の増加に伴い、毛皮の需要も高くなっている。特にキツネのスネ部分の毛皮を使った帽子は外国人にも現地の人々の間でも人気が高い。